執筆・文責:弁理士 中村幸雄(登録番号 第12870号)

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2026年5月25日に施行された企業価値担保権は、不動産や経営者保証に過度に依存せず、会社の総財産や事業全体の将来性に着目した融資を可能にする新しい担保制度です。企業価値担保権を設定した会社では、特許や出願も事業を支える財産の一部となります。では、中核特許の譲渡やライセンスは、どこまで自由に行えるのでしょうか。本稿では、どの知財を重要な管理対象とするかを見極め、設定前に作っておきたい「重要知財台帳」の考え方を取り上げます。

この記事の結論

企業価値担保権を設定しても、特許が一律に動かせなくなるわけではありません。ただし、中核となる特許の譲渡などは「重要な財産の処分」として、企業価値担保権者との事前調整が必要になる可能性があります。

問題は、どの特許が事業にとって重要なのかを、法律や件数だけでは決められないことです。

そこで設定前に、登録特許だけでなく係属出願も含め、どの知財がどの事業を支えているかを示す「重要知財台帳」を作っておくことが重要になります。

企業価値担保権を設定しても、特許が凍結されるわけではない

事業性融資の推進等に関する法律では、会社の総財産を一体として企業価値担保権の目的とし、その中には将来会社の財産となるものも含まれます。このような財産には特許などの知的財産も含まれます。

同法20条1項は、設定後も会社が担保目的財産を使用し、収益を得て、処分することを前提としています。すなわち、企業価値担保権を設定したからといって、その後の事業活動が止まるわけではありません。

その例外となるのが20条2項です。「重要な財産の処分」など、通常の事業活動の範囲を超える行為に該当すれば、すべての企業価値担保権者の同意が必要になります。実務上難しいのは、どの行為が通常の事業活動の範囲を超えるのかという線引きです。

金融庁が2026年3月に公表した「企業価値担保権信託契約等の書式例に関する勉強会 議事概要及び書式例」も、書式例を一律に適用するのではなく、個々の借り手のニーズを踏まえて契約内容を設計することを想定しています。

特許を多く持つ会社では、ここで一つの問題が生じます。

自社のどの特許・出願を譲渡すると事業への影響が大きいのか。

この線引きは、法律だけを読んでも決まりません。

「重要な財産」は特許の件数だけでは決められない

例えば、100件の特許を持つ会社と、10件の特許を持つ会社があるとします。

100件あるからといって、前者の方が重要な特許を多く持っているとは限りません。

10件の中の1件が主力製品の基本技術を押さえ、その周囲に分割出願や外国特許が展開されているのであれば、その1件を中心とする権利群の意味は大きくなります。

逆に、多数の特許が過去製品の改良技術や、事業への影響が小さい技術に偏っていれば、件数だけで重要性を判断することはできません。

会社法でも「重要な財産」という問題は従来から存在する

「重要な財産」という言葉は、企業価値担保権だけに登場するものではありません。

会社法362条4項1号では、取締役会設置会社について、「重要な財産の処分及び譲受け」を取締役会が決定すべき事項としています。

最高裁平成6年1月20日判決は、旧商法上の「重要な財産の処分」について、財産の価額、総資産に占める割合、保有目的、処分行為の態様、会社における従来の取扱いなどを総合的に考慮する判断枠組みを示しています。

東京地方裁判所平成25年9月27日判決では、主力ブランドに関する商標権の譲渡が「重要な財産の処分」に当たるかが問題になりました。

裁判所は、対象商標が長年商品に使用されていたこと、主力ブランドとして扱われていたこと、関連する事業や販売との関係などを具体的に検討しています。単に商標権を何件持っていたかではなく、その知財が事業の中でどのような役割を果たしていたかが判断材料になっています。

特許についても、知的財産高等裁判所令和5年12月11日判決では、「亜臨界水処理装置」に関する特許権の移転登録抹消が争われました。この事件では、対象特許権の譲渡について取締役会決議が必要であることが問題となり、譲受側が取締役会議事録を求めていたことも判決中に現れています。

したがって、従来から、中核特許を譲渡する場面では、

会社法上、取締役会決議が必要な重要財産の処分なのか

という問題が存在します。

企業価値担保権が設定されていれば、そこに、

企業価値担保権者の同意が必要なのか

という別の確認が加わります。

両者は同じ制度ではなく、承認・同意を欠いた場合の法的効果も同じではありません。しかし、ここで重要なのは、対象となる知財が事業の中でどのような役割を持っているかという事実が必要になることです。

重要知財台帳は「特許番号の一覧」から作らない

そこで普段から、どの権利がどの事業を支え、どの権利を動かすと事業への影響が大きいのかを確認できる管理資料を備えておくことが重要になります。本稿ではこれを「重要知財台帳」とよぶことにします。重要知財台帳の作成手順は以下の通りです。

STEP1 特許と係属中の出願を、ファミリー単位に束ねる

一つの発明から、分割出願、PCT出願、米国・欧州・中国などの外国出願が展開されていることがあります。

この場合、日本特許1件だけを見ても、その発明について会社がどの国でどの範囲の権利を持っているのかは分かりません。

設定時に係属している出願については、特許を受ける権利も管理対象になります。さらに、設定後に生じる発明や出願、その後成立する特許も視野に入れる必要があります。そのため、設定時点で登録されている特許だけでなく、係属している出願も含めて把握する必要があります。

台帳項目確認する内容
ファミリーID関連する国内外の権利を一単位にする
国内権利特許番号・出願番号
外国権利PCT・米国・欧州・中国等
出願関係親出願・分割・優先関係
係属状態審査中・登録・拒絶対応中等

STEP2 どの事業・製品・技術を支えているかを結び付ける

次に、権利と事業をつなぎます。

特許ファミリーA
→ 技術Xをカバー
→ 製品Yに採用
→ Yの機能Zを支える
→ Zが製品の差別化要因になっている

という関係です。

ここで特許に金額を付ける必要はありません。

確認したいのは、

この権利群を失ったり、第三者に広く許諾したりすると、事業のどこに影響するのか

です。

具体的にどの技術を押さえ、その技術が製品・サービスのどの機能を支えているのかまでつなぐことで、その権利を動かしたときの影響が見えやすくなります。

台帳項目確認する内容
対象事業どの事業に関係するか
製品・サービスどの商品・サービスに使われるか
技術的役割どの機能・性能を支えるか
実施状況現在使用しているか、将来採用予定か

STEP3 基本特許と周辺特許を、同じ「1件」として数えない

同じ20件の特許でも、

が含まれていることがあります。

この場合、どの1件を失っても影響が同じということはありません。

基本特許を失うと、事業の参入障壁を失ってしまう可能性があります。一方、別の特許ファミリーでその技術領域を補える場合もあります。また、事業に使用していなくても、他社に対する抑止力として働いている場合もあります。

こうした違いは、特許の一覧からは分かりません。

クレーム、明細書、出願経過、分割関係、外国ファミリーまで見ながら、それぞれの権利がポートフォリオの中でどの位置にあるのかを確認しておくことが必要です。

台帳項目確認する内容
権利群での役割基本・改良・実装・代替経路・他社抑止等
関連ファミリー他の権利群との関係
代替可能性他の権利で補えるか

STEP4 対象国・残存期間・重要期限を重ねる

同じ発明に基づく特許でも、どの国で権利が維持されているか、あと何年権利が残っているかによって、今後の事業に与える意味は異なります。

例えば、日本ではすでに権利が消滅している一方、米国では権利が維持されていることがあります。また、存続期間の調整・延長などにより、国によって満了時期が異なる場合もあります。

重要知財を見極めるときは、どの市場で、いつまで権利が続くのかを見る必要があります。

また、出願中の案件では、審査請求、拒絶理由への応答、分割出願、パリ条約に基づく外国出願、PCT出願の各国移行など、権利取得の範囲を左右する期限があります。特許法には期間徒過後の救済が認められる手続もありますが、すべての期限が救済されるわけではありません。

台帳項目確認する内容
対象国どの市場で権利があるか
残存期間いつまで権利が続くか
係属状態出願・審査の現在地
重要期限次に管理すべき手続期限

STEP5 共有・既存ライセンス・権利帰属を重ねる

最後に、会社がその知財をどこまで自由に譲渡・許諾できる状態なのかを確認します。

共有特許については、特許法73条により、他の共有者の同意なしに自己の持分を譲渡することはできません。また、専用実施権の設定や第三者への通常実施権の許諾にも、原則として他の共有者の同意が必要です。

さらに、既存のライセンスについては、独占性、再許諾、譲渡制限、チェンジ・オブ・コントロールその他の契約条項を確認する必要があります。専用実施権や質権などの登録された権利関係も、特許の譲渡や新たなライセンスを検討する際の確認対象です。共同開発から生まれた特許については共同出願契約などの内容を、今後生まれる発明については職務発明規程による権利帰属を確認しておく必要があります。

台帳項目確認する内容
権利者・共有者誰が権利を持っているか
ライセンス既存の実施許諾の内容
担保・負担質権その他の権利関係
共同開発関係共同出願契約等
権利帰属今後生まれる発明が会社に帰属する仕組み

ここまで確認すると、「重要な特許は何件か」ではなく、どの権利群を動かすと事業への影響が大きいのかを検討できる状態になります。

重要知財をA・B・Cに分け、契約実務につなぐ

次に「何を自由に動かし、何を事前に協議するのか」を検討します。

例えば、作業上、次の3つに分ける方法があります。

区分管理の考え方対象の例
A:個別同意候補行為ごとに事前協議・同意を検討中核ファミリーの譲渡、事業への影響が大きい特許の譲渡等
B:包括的取扱い+報告候補一定範囲をあらかじめ認め、報告対象とすることを検討一定範囲の改良特許の譲渡等
C:通常管理通常の社内知財管理事業への影響が限定的な権利の譲渡等

これは法律上定められた分類ではありませんが、知財側から「何を動かすと事業への影響が大きいのか」を客観的に示す重要な資料となります。

この分類は社内管理上の区分であり、それ自体によって法律上の同意要否が決まるものではありません。実際の取扱いは、同法20条と企業価値担保権に関する契約内容に照らして確認します。

また、重要知財台帳は、一度作成したら終わりではなく、事業と知財の変化を反映する管理資料として扱う方が、将来財産まで対象にする企業価値担保権制度に適しています。

更新方法としては、定期レビューに加えて、重要な知財イベントがあったときに見直す形が考えられます。

特許原簿だけでは企業価値担保権は分からない

特許を取得する側から見ると、別の問題があります。

企業価値担保権の得喪・変更は、原則として債務者の本店所在地の商業登記簿への登記によって効力が生じます。

一方、特許権の移転や専用実施権の設定などは、特許法98条に基づく特許側の登録制度で扱われます。

つまり、企業価値担保権と特許権では、確認する公示制度が異なります。

今後、企業価値担保権が設定された会社から中核特許を取得する場面では、特許原簿だけでなく、

譲渡会社に企業価値担保権が設定されているか、当該取引に必要な手続が行われているか

という確認も問題になり得ます。

制度施行直後であり、企業価値担保権が設定された特許の譲渡について、20条3項の適用を具体的に判断した裁判例の蓄積はまだありません。

既存の特許事件からは、特許権の移転登録について抹消登録を求める訴訟という手続自体は確認できます。

しかし、

譲受人が企業価値担保権に関する商業登記を確認しなかったことが、20条3項の「重大な過失」に当たるのか。

といった企業価値担保権特有の問題については、今後の実務や裁判例を見ていく必要があります。

よくある質問

Q1.企業価値担保権を設定すると、特許を譲渡できなくなりますか?

一律に譲渡できなくなるわけではありません。

通常の事業活動の範囲では処分できます。ただし、「重要な財産の処分」など通常の事業活動を超える行為に該当すれば、すべての企業価値担保権者の同意が必要です。

Q2.重要特許は、金額や件数で決めればよいですか?

件数だけでは決められません。

どの事業・製品を支えているか、特許ファミリーの中でどの位置にあるか、対象国や残存期間、既存のライセンスなどを合わせて見る必要があります。知財について「重要な財産」が争われた裁判例でも、事業との関係が具体的に検討されています。

Q3.重要特許は、譲渡や放棄をしなければ維持できますか?

それだけでは足りません。

特許料、審査請求、外国出願など、必要な手続を行わないことで権利や権利取得の機会を失う場合があります。救済制度が設けられている手続もありますが、重要知財は本来の期限を基準として管理する必要があります。

Q4.企業価値担保権者は、重要特許の放棄について特許法上の承諾権を持ちますか?

特許法97条の承諾権者には列挙されていません。

同条は専用実施権者と質権者について承諾を求めています。企業価値担保権は個々の特許に設定される質権とは制度構造が異なるため、重要特許の維持については企業価値担保権側のルールや契約上の管理との接続を別途考える必要があります。特許法97条上の承諾、事業性融資の推進等に関する法律20条上の同意、契約上の承諾は、それぞれ別の問題です。

Q5.企業価値担保権が実行されると、既存の特許ライセンスはどうなりますか?

既存ライセンスが当然にすべて消えるわけではありません。

ただし、企業価値担保権の実行時にライセンス契約上の地位や各種条項がどう扱われるかは、設定前の重要知財台帳とは別の論点です。本稿では扱わず、実行局面の問題として分けて考える方が分かりやすいでしょう。

設定前に「重要知財台帳」を作る意味

企業価値担保権への対応として必要なのは、

どの権利群が、どの事業を支えているのか。
その知財を譲渡・ライセンスすると何が変わるのか。
必要な手続をしないことで失われる権利や出願はないか。

を見える状態にすることです。

その結果を、個別同意候補、包括的な取扱い+報告候補、通常管理といった形に分類し、企業価値担保権に関する契約を検討するための材料にする。

さらに、新しい出願や権利化、事業の変化に応じて台帳を更新する。

企業価値担保権と特許の接点では、そこから始めるのが実務的です。

参考資料

  1. e-Gov法令検索「事業性融資の推進等に関する法律(令和6年法律第52号)」
  2. 金融庁「企業価値担保権信託契約等の書式例に関する勉強会 議事概要及び書式例」(2026年3月11日公表、同年5月22日更新)
  3. 金融庁「金融仲介機能の発揮/事業性融資の推進(企業価値担保権等)」
  4. e-Gov法令検索「会社法(平成17年法律第86号)」
  5. 東京地方裁判所平成25年9月27日判決・平成23年(ワ)第10370号
  6. 知的財産高等裁判所令和5年12月11日判決・令和5年(ネ)第10058号
  7. e-Gov法令検索「特許法(昭和34年法律第121号)」
  8. 特許庁「『故意によるものでないこと』による期間徒過後の救済について」
  9. 特許庁「権利維持のための特許(登録)料の納付の流れについて」

執筆・文責

弁理士 中村幸雄

AIサービス、ソフトウェア、業務フロー、試作・現場改善に関する発明発掘・特許相談を扱う弁理士。「発明の余白」では、まだ曖昧な技術構想や現場の工夫から、発明のポイントを見つけるための情報を発信しています。