執筆・文責:弁理士 中村幸雄(登録番号 第12870号)

公開:

この記事の結論

人の技能を機械へ移す過程には、身体の構造、動作の取得、学習データ、制御など、さまざまな技術課題があります。ELEYの肩甲骨軸と関連する特許出願を手掛かりに、自社の現場で発明の候補を見つける視点を考えます。

トヨタが、工場の大規模な自動化を進めます。

トヨタ、グループ会社、主要サプライヤーでは、既存設備の更新や新たな自動化に伴い、約40万台のロボットが必要になると見込まれています。対象にはヒト型、非ヒト型の双方が含まれます。2028年以降、工場近代化への投資額は年間約1兆円(約64億ドル)規模になる可能性があります。(Reuters)

40万台。

数字だけでも大きなニュースです。

ただ、重要なのはトヨタが開発しているヒト型ロボット「ELEY(エリー)」の身体です。

車輪で走るのに、肩甲骨がある。

一見すると少し不思議な設計です。

しかし、その理由を追っていくと、フィジカルAI時代に「どこから発明が生まれるのか」が見えてきます。

車輪で動くロボットの上半身を、人に近づける理由

ELEYは、2本の腕を持つヒト型ロボットです。

移動には二足歩行ではなく、全方向へ動ける台車を使います。(トヨタ「World Robot Summit 2025 AICHI出展について」)一方、上半身は人間にかなり近づけています。

関節間の長さや腕の太さを日本人成人男性の平均的な寸法に合わせ、さらに「肩甲骨軸」まで備えています。

なぜ、移動は車輪なのに、上半身はそこまで人間に似せるのでしょうか。

トヨタ自身が、その理由を説明しています。

近年のフィジカルAIでは、人の動きをロボットに模倣させて学習する方法が重要になっています。ロボットの身体構造が人間に近ければ、人の動きをそのまま模倣しやすくなる。

つまりELEYは、人間そっくりの姿を目指すというより、「人の技能を移しやすい身体」をつくることに重点を置いたロボットと見ることができます。(トヨタ「やさしく触れることで未来を変える」)

なぜ「肩甲骨」まで必要なのか

物を押す。遠くへ腕を伸ばす。両手で瓶の蓋を開ける。

人はこうした動作で、腕だけでなく肩甲骨も使っています。

トヨタによると、従来の生活支援ロボットHSRには肩甲骨軸がなく、動きに制約がありました。ELEYでは肩甲骨軸を追加することで、人間に近い可動域を確保しています。(トヨタ「やさしく触れることで未来を変える」)

人が仕事をするとき、身体のどこを、どのように使っているのか。

そこまで観察すると、技術課題が具体的になります。

トヨタは2011年、すでに「肩甲骨」を発明にしていた

トヨタは2011年11月25日、「ロボットの関節機構及びロボット」という発明を出願しています。

この発明では、既に「人体の肩甲骨関節の動作再現性が高いロボットの関節機構」を提供することを課題としています。

鎖骨に相当するリンクや肩甲骨に相当するリンクなどを使い、人の肩甲骨の動きをロボットで再現しようとするものです。

2011年には、

「人の肩甲骨を、どう機械で再現するか」

が技術課題でした。

2026年のELEYでは、人間に近い身体構造が、

「人の動きをAIに学習させやすくする」

という意味を持っています。

同じ「肩甲骨」でも、フィジカルAIの登場によって、その価値が広がっているのです。

発明は「身体」から「教え方」へ広がっている

さらに最近のトヨタとToyota Research Institute(TRI)の公開特許出願を見ると、発明の対象は、人に近いロボットの身体から、人の技能をどうロボットへ移すかにまで広がっています。

2026年3月に公開された米国特許出願US20260077488A1の名称は、

“Apparatus for collecting robot training data”
(ロボット訓練データを収集する装置)

です。

出願人はToyota Motor CorporationとToyota Research Institute。人が作業を行う際の動きを、ロボットの訓練に利用できるデータとして取得するための装置が記載されています。(US20260077488A1)

また、2026年2月公開のUS20260054390A1 “Methods for teleoperation of whole-body manipulation”も、両社による公開特許出願です。ロボットを遠隔操作して作業させ、その際の状態や操作指令などを取得し、学習に利用する技術が記載されています。(US20260054390A1)

流れを並べると、こうなります。

人の身体を再現する

人の動きを取得する

学習データにする

AIへ技能として移す

発明の対象が、ロボットという一つの「物」から、人からロボットへ技能を移す経路全体へ広がっていることが分かります。

工場が「学習拠点」になる

生成AIは、大量の文章や画像を学習に利用できます。

フィジカルAIでは、人が物をどう持ち、どこで力を抜き、どんな姿勢で作業するのかといった実世界のデータが必要です。そのデータを大量に集めるには、ロボットを実際の環境で動かす必要があります。

トヨタも、ロボット基盤モデルを構築するには、大規模なデータ収集、学習、検証、さらにデータを集めるという循環が必要だと説明しています。HSRを用いた共創研究では、2025年3月時点で、自律システムと遠隔操作を併用し、トヨタを含む8拠点から約350時間分のデータを収集していました。(トヨタ「ロボット基盤モデル」の共創研究)

ELEYについても、今後の課題として、

の3点を挙げています。

そして、生産現場に近い条件でELEYを使い、失敗も含めて学習データに変え、短いサイクルで改善する計画を示しています。(トヨタ「やさしく触れることで未来を変える」)

失敗を含むデータを次の検証に生かす視点は、「自律型実験システム」が生み出す新たな知的資産でも扱っています。

ここまで見ると、工場の意味も変わってきます。

工場は製品を作る場所であると同時に、

AIが仕事を覚える場所

になっていく。

約40万台という数字の背景には、設備を増やすだけではなく、現場で生まれる動作データを次の改善へつなげられる巨大な学習環境が広がっていく可能性があります。

発明を探すなら「技能が移る途中」を見る

この話を自社の研究開発に置き換えるなら、「AIで何ができるか」より先に、人がうまくやっていることを見る方法があります。

そして、その技能を機械へ移す途中で、どんな技術課題が生まれるかを考えます。

人の技能を機械へ移すときの問い
人の技能を見る 機械へ移す
どこで力を加減しているか 何をセンサーで取るか
どんな動きで失敗を避けているか どんな身体構造が必要か
熟練者と新人で何が違うか どんなデータとして残すか
何を手掛かりに判断しているか どう学習し、現場へ戻すか

人が自然に行っている技能を機械へ移そうとすると、途中でうまく移せない部分が出てきます。

そこを掘ると、センサー、機構、制御、データ取得、操作方法、学習方法など、具体的な発明の候補が現れます。

フィジカルAI時代には、AIモデルそのものに加えて、

その境目にも、多くの技術課題があります。

「まだ、うまく移せないものは何か」。

そこに、次の発明の余白があります。

ELEY・技能の継承と発明に関するよくある質問

ELEYには、なぜ肩甲骨軸があるのですか?

人が物を押す、遠くへ手を伸ばす、両手で作業するときの動きを再現しやすくするためです。トヨタは、肩甲骨軸の追加によって人に近い可動域を確保し、実作業での柔軟性を高めたと説明しています。(参考:トヨタ公式資料

2011年に出願された特許は、ELEYに使われているのですか?

今回確認した公開資料からは、具体的な機構の対応関係までは確認できません。本記事では、肩甲骨の動作再現を扱う過去の特許と、現在のELEYの設計を、技術課題の広がりを考える事例として紹介しています。

データを集める装置や、ロボットへの教え方にも発明の余地がありますか?

あります。センサーの配置、操作情報の取得方法、取得したデータを学習や制御へつなげる処理などが検討対象になります。特許出願では、その工夫を具体的な技術構成として示し、先行技術との比較から新規性・進歩性などを評価します。(参考:特許庁「新規性・進歩性」

自社の現場から発明を探すとき、何を記録すると役立ちますか?

人が行っている作業、技能を機械へ移す際に困ったこと、変更した機構や処理、その結果を記録すると役立ちます。力の加減、判断の手掛かり、成功と失敗の違いを、動画、図、測定値などで残すと、技術的な工夫を説明しやすくなります。

参考資料

  1. トヨタ自動車「やさしく触れることで未来を変える」(2026年3月31日)
  2. トヨタ自動車「未来創生センター、World Robot Summit 2025 AICHI出展について」(2025年12月5日)
  3. トヨタ自動車「ロボットとAIの融合を進め技術の革新に貢献~『ロボット基盤モデル』の共創研究~」(2025年3月27日)
  4. トヨタ自動車「ロボットの関節機構及びロボット」— 特願2011-257388/特開2013-111670(出願日:2011年11月25日)。登録番号:特許第5672219号(J-PlatPat)
  5. Toyota Motor Corporation / Toyota Research Institute, Inc.「Apparatus for collecting robot training data」— US20260077488A1(公開日:2026年3月19日)
  6. Toyota Motor Corporation / Toyota Research Institute, Inc.「Methods for teleoperation of whole-body manipulation」— US20260054390A1(公開日:2026年2月26日)
  7. Reuters「Toyota estimates factory automation could cost $6.4 billion per year from 2028」(2026年9月18日)
  8. 特許庁「特許・実用新案審査基準―新規性・進歩性」

執筆・文責

弁理士 中村幸雄

AIサービス、ソフトウェア、業務フロー、試作・現場改善に関する発明発掘・特許相談を扱う弁理士。 「発明の余白」では、まだ曖昧な技術構想や現場の工夫から、発明のポイントを見つけるための情報を発信しています。