執筆・文責:弁理士 中村幸雄

フィジカルAI——ロボットの行動を生成するAIをめぐって、海外のスタートアップが数千億円規模の資金を集めているという報道が続いています。それだけを聞くと、中小企業や個人事業主には縁のない世界の話に思えるかもしれません。

しかし、発明の機会は基盤モデルを「作る側」だけにあるわけではありません。汎用のAIがどれほど賢くなっても、個々の現場の「最後の1%」には届かない。

その足りない部分を埋める工夫こそ、これからの時代に中小企業へ残される狙い目です。本コラムでは、フィジカルAIの性質を整理したうえで、どこに発明の機会があり、何を特許にし、何を営業秘密として守るべきかを考えます。

フィジカルAIとは何か——「物理空間で動くAI」ではなく「基盤モデル」

フィジカルAIという言葉には、現時点でさまざまな定義が混在していますが、本コラムでは「現実世界を理解したうえでロボットの行動を生成するAI」、なかでも「基盤モデル」としての性質を備えたものを指すことにします。

基盤モデルとは、幅広いデータであらかじめ学習させておくことで、利用する場面ではわずかな例示や指示だけで多様な作業にその場で対応できるモデルのことです。ChatGPTのような大規模言語モデルが、追加の開発なしにユーザーの多様な質問へ即座に答えられるのは、この基盤モデルとしての性質によるものです。同じことをロボットの動作で実現しようというのが、フィジカルAIの中心的な構想です。

ここで押さえておきたいのは、フィジカルAIの価値の源泉は「物理空間で動くこと」自体ではなく、「汎用であること」にあるという点です。従来のロボットは、特定の用途に向けて技術者が動作を個別に作り込む必要があり、用途が変わればその都度開発が必要でした。これが、ロボットが工場や物流といった限られた領域でしか普及してこなかった根本的な理由です。基盤モデルとしてのフィジカルAIが完成すれば、個別の作り込みなしに幅広い作業へ対応できるようになり、ロボットの使われ方は一変すると見込まれています。

だからこそ、開発には膨大な資金が必要とされ、体力のある海外企業が先行しています。日本の中小企業がこの基盤モデル開発の競争に正面から参加することは、現実的ではありません。では、中小企業には何も残らないのでしょうか。

汎用モデルにも「凹み」が残る

結論から言えば、残ります。鍵になるのは、基盤モデルの性能が「すべての作業で均一ではない」という性質です。

基盤モデルは幅広い作業に対応できますが、その性能を作業ごとに眺めると、得意な領域と不得意な領域が凸凹に分布します。とりわけ、次のような作業では、汎用モデルの性能が実用水準にわずかに届かない「凹み」が残ると考えられます。

汎用モデルは、世の中に広く存在するデータで学習されるため、世の中に広く存在する作業は得意です。裏を返せば、その現場にしかない事情には、最後のところで対応しきれません。99%までは汎用モデルがこなし、残りの1%が埋まらない——この構図は、大規模言語モデルの実務利用で各社が経験してきたことと同じです。

そして、この「最後の1%」を埋めるのは、基盤モデルを作った巨大企業ではありません。その現場を知る、現場の当事者です。ここに中小企業の発明の機会があります。

凹みを埋める3つの手段——そこに発明の機会がある

凹みを埋める手段は、大きく3つに整理できます。それぞれに、性質の異なる発明の機会があります。

手段1:現場データによる性能の底上げ

一つ目は、自社の現場で集めたデータを使って、不足する性能を補う方法です。作業者の動作を記録した動画や、作業対象の画像を追加学習に用いることで、汎用モデルが苦手とする自社特有の作業への対応力を引き上げる、という使い方です。

ここで特許の観点から重要なのは、データそのものは特許では守れないという点です。特許法上の「発明」は「自然法則を利用した技術的思想の創作」と定義されており、収集したデータの集合は、それ自体としては単なる情報の集まりであって発明に該当しません。「うちには貴重な現場データがある」と考えている企業ほど、この点を見落としがちです。

一方で、データを「集める仕組み」は発明になり得ます。たとえば、作業の様子を死角なく記録するためのカメラと治具の配置、記録した動作データから学習に不要な部分を取り除く前処理の方法、作業のばらつきを揃えて記録するための装置——こうした仕組みや方法には、特許の対象となる技術的思想が含まれ得ます。データは守れなくても、データを生み出す装置と方法は守れる。この区別が、データを扱う発明の出発点です。

なお、AI研究の側からも、データの価値を冷静に見るべき材料が出てきています。米Meta社の研究機関とニューヨーク大学が2026年3月に公表した研究では、ロボットの移動を想定した予測タスクにおいて、そのタスクに特化したデータを大量に与えたモデルよりも、タスクと直接関係のない動画や画像を組み合わせて学習したモデルのほうが良い結果を示したと報告されています。特化型のデータは学習データ全体のごく一部で性能が頭打ちになったともされており、「特化データを大量に持っていること」自体の価値は、従来考えられていたほど大きくない可能性があります。自社データの価値を過信せず、データを生み出す仕組みの側に目を向けるべき理由が、ここにもあります。

手段2:外部知識の参照(RAG型の構成)

二つ目は、追加学習をせずに、自社の業務知識をAIが参照できるようにする方法です。作業手順書、図面、過去の不具合事例といった自社の知識を外部のデータベースとして整備し、AIが作業のたびにそこを参照して判断する——大規模言語モデルの世界でRAGと呼ばれてきた構成の、ロボット版です。

この方法の発明の機会は、「何を、どのような形式で、どのタイミングで参照させるか」という構成の工夫にあります。たとえば、作業対象の認識結果に応じて参照する手順書を切り替える仕組みや、図面上の寸法情報とカメラ映像とを突き合わせて動作を補正する構成などが考えられます。情報処理の流れに技術的な工夫があれば、ソフトウェア発明として特許の対象になり得ます。RAGを用いたシステムの特許の考え方については、別のコラムで詳しく扱っていますので、「RAGは特許になるのか」もあわせてご覧ください

手段3:治具と環境側の工夫

三つ目は、AIの側ではなく、現場の側をロボットに合わせて変える方法です。ロボットがつかみにくい部品にはつかみやすくするための治具を用意する、位置がずれやすい作業台には位置決めの機構を加える、照明や背景を認識しやすいものに変える——こうした「環境側の発明」です。

これは物の発明が中心となる領域で、ソフトウェアの知識がなくても取り組める、中小製造業にとって最も身近な発明の機会です。AIやロボットの発明と聞くと高度なソフトウェア技術を連想しがちですが、汎用ロボットの導入が進めば進むほど、「ロボットと現場の間を取り持つ道具」の需要は増えていきます。治具、固定具、供給装置、検査用の補助具——従来から日本の中小製造業が得意としてきた領域が、フィジカルAIの時代にあらためて発明の主戦場になり得るのです。

仮想例:町工場とロボットの「最後の1%」

具体的なイメージを持っていただくため、仮想例で考えてみます。実在の事例ではなく、説明のために設定した架空の例です。

板金加工を手がける従業員10名の町工場が、汎用ロボットの導入を検討しているとします。一般的な部品の運搬や仕分けは問題なくこなせるものの、この工場特有の薄く湾曲した部品だけは、ロボットがうまく保持できないとします。汎用モデルの学習データに、このような形状の部品がほとんど含まれていなかった、という状況が考えられます。

この工場が、湾曲面に沿って部品を吸着保持する専用の治具を考案し、さらに、その治具の使用を前提として部品の供給向きを揃える簡単な整列機構を組み合わせたとします。この場合、権利化の候補は次のように切り分けられます。

一方、「この部品はこの順番で扱うと不良が出にくい」といった経験的なノウハウは、特許出願すると公開されてしまうため、営業秘密として社内にとどめる選択も考えられます。どこまでを出願し、どこからを秘匿するか——この線引きこそが、発明のポイントの見極めと並ぶ、特許戦略の中身です。

なお、この仮想例で重要なのは、発明した治具や機構が「自社の凹み」を埋めるだけのものに見えて、実は同じ凹みを持つ同業他社にも役立つ可能性がある、という点です。同じ業界の工場は、似た部品を、似た方法で扱っています。自社のために考案した工夫が、業界共通の課題の解決策になっているなら、権利化したうえでライセンスや治具の外販につなげる道も視野に入ります。

特許と営業秘密の使い分け——出願のタイミングに注意

最後に、実務上の注意点を2つに絞って述べます。

第一に、特許と営業秘密の使い分けです。大まかには、製品や現場を見れば他社に分かってしまう工夫(治具の形状、装置の構成など)は特許で守り、外から見ても分からない工夫(データの中身、パラメータの調整値、経験的な手順)は営業秘密として守る、というのが基本の整理です。営業秘密として保護を受けるには、秘密として管理されていることなどの要件を満たす必要があり、「黙っていれば守られる」わけではない点にもご注意ください。

第二に、出願のタイミングです。日本の特許制度は先願主義、つまり同じ発明であれば先に出願した者が権利を得る仕組みです。そして、前述のとおり「凹みを埋める発明」は、同じ凹みに直面する同業他社が、同じ時期に、似た解決策へたどり着く可能性があります。汎用ロボットの普及期には、業界中が一斉に同じ課題へ向き合うことになるからです。展示会への出品や取引先への提案の前に出願を済ませておくこと、自社で公開してしまった場合の救済措置(新規性喪失の例外)はあくまで例外であって当てにしないこと——この原則は、フィジカルAIの時代にはいっそう重みを増します。

まとめ——凹みの数だけ、発明がある

フィジカルAIの開発競争そのものは、巨額の資金を持つ企業の戦いです。しかし、どれほど優れた基盤モデルが登場しても、個々の現場の「最後の1%」は埋まらずに残ります。その凹みは、現場を知る者にしか見えず、現場を知る者にしか埋められません。

データそのものではなく、データを生み出す仕組みを。AIそのものではなく、AIと現場をつなぐ構成と道具を。汎用ロボットの時代に中小企業が権利化すべき対象は、この視点で探すと見つけやすくなります。凹みの数だけ、発明の余白があるのです。

自社の現場の工夫が発明になるのか、特許と営業秘密のどちらで守るべきか、判断に迷われたときは、お気軽にご相談ください。

執筆・文責

弁理士 中村幸雄

AIサービス、ソフトウェア、業務フロー、試作・現場改善に関する発明整理・特許相談を扱う弁理士。 「発明の余白」では、まだ曖昧な技術構想や現場の工夫を、発明のポイントとして整理するための情報を発信しています。