AI技術の事業利用は、モデルを学習させる段階から、学習済みモデルを使って推論する段階へ広がっています。
生成AI、RAG、AIエージェントだけでなく、ロボット、自動運転、製造装置などのフィジカルAIでも、事業上の価値が生まれるのは、モデルを作った時点とは限りません。
現場のデータを取得し、推論を行い、その結果を業務処理や装置制御に反映したときです。
この変化は、AI特許の請求項の設計にも影響します。
モデルの学習方法だけを請求項に記載していると、競合企業が海外でモデルを学習させたり、第三者のモデルを利用したりした場合に、日本国内で行われる推論サービスを捉えにくくなることがあります。
現在のAI特許では、学習方法を守るだけでなく、
という視点が重要になります。
請求項とは
請求項とは、特許によって守られる技術的範囲を定める部分です。
特許法70条では、特許発明の技術的範囲は、特許請求の範囲の記載に基づいて定めるとされています。
明細書に書かれているだけでは足りず、競合する製品やサービスが請求項の構成を満たすことで、初めて権利行使の検討対象になります。
そのため、請求項は単なる技術説明ではありません。
誰が、どこで、どの処理を実施するのかまで想定して設計する必要があります。
結論
AI特許では、学習工程と推論工程を分けて請求項を検討することが重要です。
発明の特徴を推論時の処理として表現できる場合には、独立請求項で学習工程を必須とせず、次のような構成を中心にすることが考えられます。
- 入力データの取得・生成
- 学習済みモデルを用いた推論
- 推論結果の取得・評価・補正
- 推論結果に基づく処理や装置制御
重要なのは、発明の価値が実際に使われる場所で、競合企業の行為を捉えられる形にすることです。
学習工程だけでは、事業を捉えにくいことがある
AI発明では、学習データの選び方、教師データの作成方法、モデル構造、損失関数、重みの更新方法などに技術的な特徴があることがあります。
これらは重要な保護対象です。
一方で、特許を取得できることと、競合企業の事業を捉えられることは同じではありません。
たとえば、独立請求項が「教師データを用いてモデルを学習させる工程」を必須としている場合、次のような事業形態への権利行使が難しくなります。
- モデルが海外で学習されている
- 学習済みモデルを第三者から調達している
- 基盤モデルをAPI経由で利用している
- 国内では推論だけが行われている
- 学習と推論を異なる事業者が担当している
- 学習データや更新方法を外部から確認できない
推論時の実施を捉える請求項
たとえば、AIによってロボットを制御する発明を考えます。
独立請求項に、
を必須構成として記載すると、海外で作成された学習済みモデルを利用し、日本国内では推論と制御だけを行う装置は、その請求項を満たさない可能性があります。
これに対し、推論時の構成を中心に、次のように整理する方法があります。
前記センサデータから推論用入力データを生成する入力生成部と、
前記推論用入力データに基づく推論結果を取得する推論結果取得部と、
前記推論結果に基づいて制御量を決定する制御量決定部と、
前記制御量に基づいて装置を制御する制御部と、
を備える制御装置。
ここで注目したいのが、「推論する」と記載するか、「推論結果を取得する」と記載するかです。
国内のエッジ装置自体がモデルを実行するのであれば、「推論部」を備える装置として構成できます。
一方、モデルが海外サーバにあり、国内装置が推論結果を受け取る構成であれば、国内装置については「推論結果取得部」として整理する余地があります。
同じ発明でも、実際のシステム構成に応じて、請求項の切り口は変わります。
フィジカルAIでは「推論結果の先」まで見る
フィジカルAIでは、モデルが結果を出力することよりも、その結果を現実の装置へ反映する処理に発明の特徴がある場合があります。
たとえば、次のような一連の処理です。
↓
推論用データの生成
↓
AIによる推論
↓
推論結果の信頼性判定
↓
現在状態に応じた補正
↓
ロボットや製造装置の制御
↓
制御後の状態を再取得
この場合、センサデータの同期、推論遅延への対応、安全条件を満たさない場合の停止処理、制御後の状態を利用した再推論など、現実世界との接続部分が重要になります。
フィジカルAIでは、
まで整理することで、発明の技術的な特徴が見えやすくなります。
モデルが海外サーバにある場合
AI特許では、まず、日本国内にある装置や国内で行われる方法だけで成立する推論装置・推論方法の請求項を検討するのが基本です。
国内で行われる推論、結果の補正、装置制御などを一つの請求項で捉えることができれば、モデルを実行するサーバの所在地に左右されにくくなります。
しかし、国内装置が行う処理だけでは、先行技術との差を十分に示せないこともあります。このような場合には、サーバと国内装置を含むシステム全体の請求項を作成せざるを得ないこともあります。
このような場合でも、サーバが海外にあるからといって、日本で権利行使が絶望的とは限りません。
2025年3月3日の最高裁判決では、海外にあるサーバと日本国内にある端末を含むシステムについて、システムを構築する行為や構築されたシステムを全体として見て、実質的に日本国内での「生産」と評価できる場合には、日本の特許権が及び得ると判断されました。
この事件では、日本の利用者がサービスへアクセスすることでシステムが構築され、処理の結果が国内端末に表示され、発明の効果が国内端末で生じることなどが考慮されています。
もっとも、これは一定の事実関係を前提とした判断です。国内に端末があるというだけで、当然に日本の特許権が及ぶわけではありません。
請求項を作る前に整理したい5つの質問
AI特許の請求項を設計するときは、技術内容だけでなく、次の点を先に確認します。
1.誰の行為を捉えたいか
モデル開発者、AIサービス提供者、クラウド事業者、端末メーカー、利用企業のうち、誰の行為を対象にするのか。
2.各処理はどこで行われるか
学習、推論、データ保存、結果の補正、装置制御は、それぞれ国内と国外のどこで行われるのか。
3.市場で繰り返される行為は何か
学習は一度だけで、推論は繰り返し行われるのか。
モデル提供、API提供、端末販売、装置制御のどこに事業上の価値があるのか。
4.外部から確認できる構成は何か
競合サービスを利用することで確認できる処理なのか。
学習データ、内部パラメータ、サーバ内部の処理など、外部から確認しにくい事項を必須にしていないか。
5.処理を海外へ移すことで回避できないか
モデルサーバやデータベースを国外へ移した場合でも、国内の端末、エッジ装置、プログラム、装置制御を捉えられるか。
弊所では、
- 学習と推論のどちらに発明のポイントがあるか
- どの事業者の行為を捉えるべきか
- 海外サーバと国内装置をどう整理するか
- 装置、方法、プログラム、システムをどう重ねるか
を、実際のサービス構成や事業計画に沿って整理します。
技術構想が固まり切っていない段階でも、システム構成図や処理フローから、どこに発明の可能性があるかを検討できます。